そんなに不登校に縛られていたいのかな、と素直に思う。
“不登校だった大人”には冷たい世の中や社会、世間。
生きる為にはそこに留まってはいられないのにね。
僕は運良く、誰にも否定できない登園拒否からの本物の経験がある。
これは有難い。
どんな人が何をもって否定しようと、“不登校”“登校拒否”、呼び方はなんでもいい。
その現象や自体が人生そのものだから。
そんな僕から見たら偽物だと思う人もそこそこいる。
その人たちは決まって“不登校”というジャンルに固執して、ネガティブかファッション的にこだわっている。
あと、僕を否定してくる(苦笑)
僕よりも学校に行って、普通に生活してきているのに、僕よりも「不登校」が、わかるらしい。
ずっと、そんなことの繰り返しでうんざりもしているけどね。
ぱっと出てきて、世の中の流れに乗るのが上手い人が、さも不登校の代表です、みたいな顔して語っているのは不快だ。
不登校YouTuberも同じような怒りの源泉から嫌悪感を感じる。
僕は変わっていかなきゃ。
そんなどんぐりの背比べみたいなところにいるから、ダメになる。
営業下手、世の中の波に乗るのも下手。
でも経験も人生も本物。
不登校や登校拒否は、勉強しなくても骨の髄から知っている。
不登校というジャンルになった時点で、それはもう別物。
そんなちっちゃなことにこだわっていたから、大事な人を傷つけて、大事な家族も失ったんだから。
歌わなくても、伝えなくても、僕は最初から『吉田祥吾』だ。