今、話題の10歳の不登校YouTuber。
学校に行きたい時に行けて、親も認めていて、世の中に発信出来る力があるなら「不登校」じゃない。
批判されたお父さんは、子どもを応援してあげて、と言うけれど、それはもちろん応援してあげればいいし、活動自体もまったく批判する気もない。
ただ「不登校」の肩書きいらないよね?
学校に行きたくても行けない
行かなきゃ行けないのに行けない
その苦しみがなければ違うでしょ、と僕は思ってしまう。
そこに葛藤がなければ不登校じゃないよ。
それはもう別の「学校との付き合い方」が出来ているし、折り合いがついてる。
こういうのに感想書くの普通は絶対しないけど、今回のはひどくがっかりした。
「学校との新しい付き合い方をしている」、そういう方面での表現なら、こんなにがっかりしないし書いたりしない。
関わる大人が問題。
僕の感想はシンプル。
「不登校」じゃない。
追記
学校に行く か 行かない の二択の枠を変えていく力があるのに、その二択の上にいる必要はないと思う。
もうその土台じゃない人違がたくさん居る。
その土台で苦しんでいる人達には違うとわかる土台。
「不登校」を増やすのではなく、それに縛られない新しい肩書きの人達を増やせるはずの土台。