喉元過ぎれば熱さを忘れる
これも良い言葉。
情けないことですが大抵そうです。
自分が大変な時は、藁にもすがる勢いですが、一旦自分の状況が良くなると、他人事のどこ吹く風で対岸の火事。
自殺を止めるのも、引きこもりをやめさせたり、不登校をやめさせたり、進み始めたその先は 自己責任論の関わった側の責任放棄。
就職の大変さ、職場、学校内でのいじめ差別は、大抵みんな通ってきてるからどうにかしなさい、と。
いやいや、そうだけど、いきなりだな、と。
喉元過ぎたところで、次は食道や胃が熱いわけで。
想像力の欠如と、現実や社会の洗礼、厳しさと劣悪な状況の見分けをしなくなる。
生きていく為に死ぬ思いをしろ。
何のために生きるのか、の答えはひとつはっきりしているよね。
死ぬため。
どう死ぬか。
追いつめられて死ぬ?
この世は散々だったと世を儚んで死ぬ?
与えられた命で、割り振られた人生を引き受けて、自分なりに精一杯生きたな、と満足感を持って死ぬ?
ただ死ぬ?
甘やかし、とは違う。
甘やかし方だって学ぶべき、付き合い方。
厳しさと優しさは両方あってこそ本当の甘やかしが出来る。
相手がダメになる甘やかしは、手抜きの甘やかし。
良くなっていく甘やかしもある。
喉元過ぎても熱さを忘れなければ、出来るはずの類。