一緒に悩んで進んでいく。
苦しんでいる相手と自分も同じように、場面に心ごと直面して感じること。
「相手が自分だと思える想像力」
ほかの人が簡単にやってのける「他人事」の距離をとれないから、抱える時はがっつり抱える。
例えるならゲーム。
どうにかクリアしたステージやボス戦。
1人でなら、わざわざもう一度やる必要はない。
クリアしたんだから「言葉だけ」は簡単。
「その場所は、そいつは」
「こんな風にやればクリア出来る」
それで難しいから失敗する相手に「そのうちクリアできるよ」とか「あーなんでやれないの」とか、もう自分はプレイすることなく言ってしまえるのが『他人事』
【自分はクリアしたからする必要はなし】
俺はその相手と同じようにまたチャレンジする。
時間も経っていたり、自分もなんとかクリアしたんだから、簡単にクリアなんていかない。
実際、他人の悩みも苦しみも、自分がプレーしなくていいから、およそ簡単な“常識、正論ぶった回答”が出ちゃうもの。
だって自分がプレーしなくていいんだもの。
受験や免許の試験と一緒。
高校や大学受験、免許の試験を一回で受かるか。
「受かった」
その過去形で、今、まさに受験や試験を受ける人に、表面をさらう程度の先輩面するのは情け無い。
立て直しは常。
自分ごとだけではないからこそ。
くっそー頑張って、今よりももっと大きな器と、自由自在な心のエレベーターを手に入れてやる。
同じように苦しむけど、飲み込まれてはいけないからね。
今日も頑張ってるはず。
応援してるぞーーー!
俺も頑張って、今日も生きるぞーー!